信じがたいニュースが飛び込んできました。
日本中を震撼させ、今なお多くの人々の記憶に「史上最悪の少年犯罪」として刻まれている、あの「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。
そのあまりにも痛ましい事件の被害者の顔写真が、あろうことか、海外の人気YouTuberの動画で「背景の装飾」の一部として、軽々しく使用されていたことが発覚しました。
この信じがたい行為を行ったのは、インドネシアで登録者数1160万人以上を誇るトップYouTuber「Nessie Judge(ネッシー・ジャッジ)」氏。
日本社会にとって「タブー」とも言える重い悲劇が、なぜ遠い海外でエンターテイメントコンテンツの一部として消費されてしまったのか。 現在(2025年11月6日)、まさに日本国内で批判の声が上がり始めたこの問題の経緯と詳細、そして最新の状況をまとめます。
これが現実の出来事なのでしょうか。 まず、この信じがたい行為を行った人物が、その辺の無名なクリエイターではないという事実に、私たちは最初の絶望を味わうことになります。
インドネシアで、登録者数1160万人。 日本で言えばトップクラスのYouTuberに匹敵する、絶大な影響力を持つ「Nessie Judge(ネッシー・ジャッジ)」氏。 日々、何百万人という若者が彼女の動画にアクセスし、その発言に注目しています。
彼女が、一体「何」を動画に使ったのか。
それは、私たち日本人が記憶の底に深く封印し、そのあまりの残虐さゆえに直視することさえためらわれる、あの「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の——被害者の女性の顔写真でした。
しかも。
事件の真相を追うドキュメンタリーでも、被害者を追悼するコンテンツでもありません。
あろうことか、彼女の動画の「背景」に並べられた、単なる「装飾」として。
まるで壁紙か、お気に入りのポスターの一枚のように、あの痛ましい事件の被害者の写真が、軽々しく「消費」されていたのです。
この悪夢のような事態は、本日(2025年11月6日)、日本のWebメディア「coki.jp」の報道によって日本国内で明るみに出ました。 X(旧Twitter)では、この事実を知った人々から、 「どういう神経だ」 「人としてやっていいことと悪いことの区別がつかないのか」 「あの事件の重さを、何も知らないでは済まされない」 といった、驚き、悲しみ、そして何よりも強い怒りと不信の声が、今まさにリアルタイムで渦巻いています。
なぜこんなことが許されるのか。 1160万人の影響力を持つ人間が、なぜ、これほどまでに無神経な「過ち」を犯すことができたのでしょうか。
なぜ許されないのか。それは「事件」ではなく「日本のタブー」だからだ
なぜ、私たちはこれほどまでに心をかき乱され、怒りに震えているのでしょうか。
「昔の事件でしょ?」「海外の人は知らなかっただけ」 ——もし、そう思っている人がいるなら、根本から認識を改めてもらわなければなりません。
あの「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、単なる「過去の猟奇事件」ではありません。
それは、未成年による残虐非道な行為の限りを尽くした、日本社会の「悪夢」そのものであり、私たちの心の奥底に突き刺さった、**決して抜けることのない「棘(とげ)」**なのです。
当時を知る世代は、連日報道される非人間的な犯行内容に言葉を失い、社会全体が深い無力感と嫌悪感に包まれました。 当時を知らない若い世代でさえ、その概要を知れば誰もが顔をしかめ、直視することを拒む——それほどまでに、この事件は「触れてはいけないもの」「軽々しく口にしてはいけないもの」という、重い「タブー」として日本社会に存在しています。
そこには、今もなお癒えない深い傷を抱え続けている、被害者とご遺族の存在があります。
今回のNessie Judge氏の行為は。
その、決してエンターテインメントにしてはならない聖域に土足で踏み込み、被害者の尊厳を、そしてご遺族の消えない悲しみを、「動画の素材」として消費し、踏みにじったことに他なりません。
これは「無知」で済まされる失態ではありません。 被害者の人生を、その無念を、そしてご遺族の数十年にわたる苦しみを想像することなく、1160万人の目に晒した——。
その無神経さ、その冒涜的な行為こそが、今、私たちの「許せない」という感情のど真ん中にあるのです。
「動画は削除した」と謝罪。しかし、まだ”見れる”という悪夢
この問題が日本で炎上し始めた矢先、Nessie Judge氏本人のX(旧Twitter)アカウント(@nessiejudge)が動きました。
昨日(11月5日)、彼女は一連の謝罪文を投稿しました。

そこには、 「前回の動画に関してお寄せいただいたご懸念やご意見を、すべて拝聴し、深く理解いたしました」 「私たちが軽率にもオマージュのつもりで行ってしまった行為は、皆様から無礼で配慮に欠けるものとして正しくご指摘いただきました」 「今回の判断力の著しい欠如につきまして、心よりお詫び申し上げます」 と、自らの非を認める言葉が並んでいます。
そして、こうも書かれています。 「昨日、事態の全容を把握した後、私は直ちに動画を削除し、チームと共に今回の行動について深く反省いたしました」
……しかし。本当にそうでしょうか?
私たちは、信じがたい事実を突きつけられます。 彼女が「直ちに動画を削除した」と説明している一方で、彼女が関わる別のInstagramアカウント(@ngelantur_idn)では、今この瞬間も、何事もなかったかのように問題の動画が公開され続けているのです。(※2025年11月6日午前10時半時点)

これは一体、どういうことなのでしょうか。
表向きのXで「謝罪」と「削除」をアピールしながら、なぜ、数百万人が目にする可能性のあるInstagramでは、あの冒涜的な動画が削除されずに放置されているのか。
これは「削除漏れ」という単純なミスなのでしょうか。 それとも、私たちの怒りや悲しみが、彼女たちにはまだ本当の意味で届いていない——「とりあえず謝罪文さえ出せばいい」という、その程度の認識でしかないということの、何よりの証拠なのでしょうか。
「深く反省した」という言葉とはあまりにも裏腹なこの対応は、私たちの不信感を、怒りを、さらに深くするものです。
謝罪文の「意図」が、さらなる怒りを呼ぶ。これが「オマージュ」のつもりだったのか?
この謝罪文(スクリーンショット参照)の中で、私たちはさらに目を疑う一文に直面します。
「Hello, everyone. I have listened and understood your concerns regarding the previous video uploaded. What we recklessly thought as an act of paying an homage, was rightfully corrected by everyone as rude and insensitive. We deeply apologize for our severe lack of judgement.」
彼女は、この常軌を逸した行為の「意図」について、こう釈明しているのです。
「私たちが軽率にもオマージュ(homage)のつもりで行ってしまった行為は、皆様から無礼で配慮に欠けるものとして正しくご指摘いただきました」
……オマージュ? 今、何と言ったでしょうか。
オマージュ(Homage)とは、本来、尊敬する作家や作品、人物に対して「敬意」や「尊敬」を込めて、自らの作品でそれを引用したり、模倣したりする行為を指す言葉です。
一体、彼女たちは、何に「敬意」を払おうとしたのでしょうか。 あの、あまりにも無残な形で命を奪われた被害者の女性に対してか。 それとも、日本社会に深い傷跡を残した「事件」そのものに対してか。
あの被害者の写真を、エンターテイメント動画の「背景装飾」として貼り付ける行為のどこに、「尊敬」や「敬意」のカケラが存在するというのでしょうか。
これは「判断力の欠如」などという、生易しい言葉で片付けられる問題では断じてありません。 彼女たちにとって、この日本社会を震撼させた未曽有の悲劇は、自らの動画をセンセーショナルに演出し、視聴者の興味を引くための、単なる「道具」であり「ネタ」でしかなかった。
被害者の女性は、その「悲劇のアイコン」以上の意味を持っていなかった——。 そう言われたに等しい、あまりにも浅はかで、冷酷な「意図」の告白です。
だからこそ、「謝罪したフリ」をしながら、別のアカウントでは平然と動画を流し続けられるのです。 心の底から「悪い」などとは、微塵も思っていないから。
「オマージュのつもりだった」 その、あまりにも人を食った釈明が、彼女たちの倫理観の絶望的な欠如を、何よりも雄弁に物語っています。
私たちが求めているのは「言い訳」ではない。「誠実な謝罪」と「全動画の削除」だ
今回の問題は、1160万人という強大な影響力を持つクリエイターが、他国の「決して触れてはならない悲劇」に対し、どれほど無神経で、浅はかな認識しか持っていなかったかを露呈させた、あまりにも悲しい事例です。
しかし、私たちは今、怒りに任せて大きな主語を使うべきではありません。 これは断じて「インドネシア人全体」の問題などではない、ということです。
何を隠そう、この記事を書いている私にも、インドネシア人の友人がいます。彼らがどれほど思慮深く、誠実で、心優しい人々であるかを知っています。だからこそ、今回の一件は余計に残念でなりません。
これはあくまで「Nessie Judge氏と彼女のチーム」という、一個人の、一組織の、あまりにも低い倫理観の問題です。
だからこそ、私たちが彼女たちに今、本当に求めているのは、 「オマージュのつもりだった」 などという、被害者と日本人の感情を逆撫でする**「言い訳」や、取り繕った「御託」**ではないはずです。
もし、彼女が謝罪文に書いた「深く反省している」という言葉が本心なのであれば、行動は一つしかありません。
まず、今この瞬間もInstagramなどで放置されている、問題の動画を「関連するもの全て」即刻削除すること。
そして、言葉遊びではない、被害者とご遺族、そしてこの事件に心を痛めている全ての人々に向けた**「誠心誠意の謝罪」**。
最後に、「なぜあの写真を使ったのか」という**「本当の理由」**を、ごまかしなく誠実に説明することです。
口先だけの謝罪でこの場を乗り切り、ほとぼりが冷めるのを待つのか。 それとも、自らの過ちの重大さを直視し、クリエイターとしての、そして一人の人間としての「誠実さ」を行動で示すのか。
1160万人の視聴者が見つめる中、今、彼女たちの「本質」が試されています。


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