日本の生活保護制度:法理念、運用実態、社会的言説の包括的分析

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I. 日本の生活保護制度:その理念と構造

日本の生活保護制度は、セーフティネットの根幹をなす公的扶助制度です。しかし、その法的理念と社会一般の認識、そして実際の運用との間には、制度発足から70年以上を経た現在もなお、深刻な乖離が存在し続けています。本セクションでは、制度の法的基盤と歴史的変遷を概観し、制度に内包される「権利」としての側面と、「適正化」の圧力という二重性を分析します。

A. 憲法25条(生存権)と生活保護法の4つの基本原理

生活保護制度の法的基盤は、日本国憲法第25条第1項にあります。ここには「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定されており、「生存権」が国民の基本的な権利として保障されています。生活保護法は、この憲法上の理念を具現化するための法律です。

この生活保護法は、4つの基本原理によって構成されています 。   

  1. 国家責任の原理:国が、生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障する責任を負うことを示します。
  2. 無差別平等の原理:人種、信条、性別、社会的身分、または生活に困窮した理由(本人の責任であるか否か)を問わず、無差別平等に保護を受ける権利があることを定めています。
  3. 最低生活保障の原理:憲法第25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」の水準を保障するものです。
  4. 補足性の原理:保護を受けるためには、その前提として、利用し得る資産、稼働能力、その他あらゆるものを活用し、さらに民法上の扶養義務者からの援助を受けてもなお最低生活を維持できない場合に、その不足分を補う形で保護が行われることを示します 。   

B. 歴史的変遷:「慈善」から「権利」へ、そして「適正化」へ

現在の生活保護制度の「権利」としての性格を理解するためには、その歴史的経緯、特に旧法との対比が不可欠です。

1946年(昭和21年)に制定された旧・生活保護法は、まだ大日本帝国憲法下にあり、その性格は「国家による慈善・恩恵」の域を出ませんでした 。最大の特徴は「欠格条項」の存在です。素行不良な者、怠惰な者、または扶養義務者が扶養できると判断された者は、どれほど困窮していても保護の対象から除外されました。これは、救済対象を「善良な貧者」に限定する選別的な思想でした 。   

この思想は、1950年(昭和25年)に現行の生活保護法が制定された際に根本から覆されます。新法は、憲法第25条の理念に基づき、旧法の「欠格条項」をすべて撤廃しました 。これにより、生活保護は「恩恵」から「国民の権利」へと法的に転換され、貧困に陥った理由を問わず、無差別に最低生活を保障する制度として再構築されました。   

しかし、法制度上の「権利」への転換が、そのまま社会の意識変革に直結しなかった点に、現代に至る問題の根源があります。旧法時代の「怠惰な者は除く」というイメージや、「お上の施し」といった感覚は、70年以上が経過した現在もなお社会通念として根強く残存しています 。この「法理念」と「社会通念」の深刻なギャップが、後述するスティグマ(烙印)や「生活保護叩き」の温床となっています。   

さらに、2010年代以降、制度の運用は「適正化」とコスト管理の側面を強めています。例えば、医療扶助においては、後発医薬品(ジェネリック)の使用促進が法律上明確化されました 。また、平成24年(2012年)には電子レセプトシステムの改修が行われ、重複受診や薬の過剰な多剤投与など、「不適切な受診行動が疑われる事例」を抽出・把握する機能が強化されました 。   

これらの「適正化」の取り組みは、表向きは医療費の効率化や受給者の健康管理を目的としています。しかし、その意図にかかわらず、行政が「不適正な利用者」を技術的に抽出し、指導を強化する  という行為は、「やはり不正・不適正な利用が多いのだ」という社会一般の言説を結果的に追認し、補強する材料を提供してしまいます。制度の「適正化」が、制度利用者全体への「スティグマ(烙印)」を強化し、必要な人が制度利用をためらう(捕捉率の低下)一因となっている可能性は否定できません。   

II. 受給の要件:制度上の規定(System)

生活保護の受給要件は、前述の「補足性の原理」  に基づいて定められています。これは、保護を申請する世帯が、その有する能力や資産、あらゆるものを最低生活の維持のために活用していることが前提となる、という考え方です。具体的には、主に以下の4つの側面から判断されます。   

A. 収入要件:最低生活費の算出

受給の可否は、世帯全体の収入が、厚生労働大臣の定める基準で計算される「最低生活費」を下回るかどうかで決まります 。   

最低生活費は、年齢、世帯人数、居住地(級地)などに応じて算出される「生活扶助」(食費、光熱費など)、家賃実費分を支給する「住宅扶助」、医療費の「医療扶助」、介護費の「介護扶助」など、8種類の扶助の合計額として計算されます 。世帯の収入(就労収入、年金、手当、親族からの仕送り等)の合計が、この最低生活費を下回る場合、その「不足分」が生活保護費として支給されます。   

B. 資産の活用

預貯金、有価証券、生命保険(解約返戻金)、貴金属など、活用できる資産は原則として売却等を行い、生活費に充当することが求められます 。   

特に議論となるのが「自動車」の保有です。自動車は資産とみなされるため、原則として保有は認められず、売却して生活費に充てることが求められます 。 しかし、これには例外規定が存在します。   

  1. 通勤用:公共交通機関の利用が著しく困難であり、自動車による以外に通勤の手段がない場合。
  2. 通院・通所等:通院、通所(障害者施設など)、または子どもの保育園送迎などのために自動車が不可欠な場合。

これらのケースで、その必要性が認められ、かつ保有が「社会的に適当」と判断される(例:高額な車種ではない)場合に限り、例外的に保有が容認されることがあります 。   

ただし、この資産要件の運用には、制度の目的との自己矛盾が内包されています。生活保護制度の目的は、単に最低生活を保障するだけでなく、その「自立を助長すること」  にあります。しかし、例えば公共交通の乏しい地方において、就職活動や通院の「足」である自動車の売却を原則として要求することは、結果的にその世帯の「立て直し」をより困難にし、自立を阻害するパラドックスを生じさせています。   

C. 稼働能力の活用

働ける能力(稼働能力)があると判断される場合は、その能力を活用して就労し、収入を得ることが求められます。

ここで重要なのは、「働ける年齢(稼働年齢層)である」ことや「現在就労していない」ことだけを理由に、直ちに申請が却下されることは不適当である、という点です 。稼働能力の活用は、以下の3つの要素から総合的に判断されます 。   

  1. 稼働能力の有無:単に年齢だけでなく、本人の病状、障害の程度、資格、職歴、就労阻害要因(例:介護、育児)などを客観的に判断します 。   
  2. 活用意思の有無:稼働能力がある場合、その能力を活用する意思があるか、具体的にはハローワークでの求職活動を行っているかなどが問われます 。   
  3. 就労の場の有無:本人が求職活動を行っていても、現実に働く職場(就労の場)を得ることができない場合(例:地域の有効求人倍率が極端に低い、応募しても採用されない等)は、稼働能力が「活用されていない」とはみなされず、保護の対象となります 。   

法制度上、この3要素による判断は合理的かつ包括的です。しかし、この「総合的判断」という規定の複雑さが、福祉事務所の窓口における「水際作戦」で、行政側の裁量が濫用される余地を生んでいます。申請者が直面する「就労の場がない」(第3要素)という現実や、求職活動の困難さ(第2要素)が適切に評価されず、「まだ働ける」(第1要素)という点だけが窓口担当者の主観によって恣意的に強調され、申請を諦めさせられるケースが後を絶ちません 。   

D. 扶養義務者の援助

民法上、申請者の三親等内(親、子、兄弟姉妹、祖父母、孫など)の親族は「扶養義務者」とされます。補足性の原理に基づき、これらの扶養義務者から援助を受けられる場合は、それが生活保護に優先されると定められています 。   

このため、福祉事務所は保護の申請時および保護開始後、原則としてこれらの扶養義務者に対し、援助が可能か否かを問い合わせる文書を送付します。これが「扶養照会」と呼ばれる実務です 。   

III. 受給の障壁:運用の実態(Real)と制度の乖離

ご依頼のあった「制度とリアルの乖離」は、このセクションで詳述する運用上の障壁に最も顕著に表れています。特に「扶養照会」の運用は、制度が「権利」であるにもかかわらず、その利用を阻む最大の壁として機能しています。

A. 最大の障壁:「扶養照会」という名のスティグマ(烙印)

扶養照会は、多くの申請者にとって、制度利用を断念させる最大の抑止力となっています 。その理由は、法的なものではなく、純粋に心理的なものです。「親族に、自分が生活保護を申請するほど困窮していることを知られたくない」「家族に恥をかかせたくない」という、社会的なスティグマ(烙印)への強い抵抗感です 。   

弁護士会などは、この扶養照会の運用を厳しく批判しています。厚生労働省自身も「扶養義務者による扶養の可否等が、保護の要否の判定に影響を及ぼすものではない」(扶養が期待できなくても保護は受けられる)と明記している  以上、申請の「入り口」の段階で、本人の意思に反して一律に扶養照会を行う法的根拠は乏しい、と指摘されています 。   

B. 2021年運用見直しの実態と限界

こうした批判を受け、厚生労働省は2021年(令和3年)に扶養照会の運用を見直す通知を出しました。この通知では、扶養照会を控えるべき「扶養義務履行が期待できない者」の類型が、従来よりも具体的に示されました 。   

主な例外類型としては、以下のようなケースが明示されました 。   

  1. 当該扶養義務者に対し扶養を求めることで、明らかに要保護者の自立を阻害する(例:夫からのDV被害者、親から虐待を受けていた経緯がある)。
  2. 当該扶養義務者自身が、被保護者、社会福祉施設入所者、長期入院患者、または概ね70歳以上の高齢者である。
  3. 当該扶養義務者と借金を重ねている、相続をめぐり対立している、または**「一定期間(例えば10年程度)音信不通」**であるなど、著しく関係性が不良である。

この見直しは一定の前進と評価される一方、NPOや弁護士会からは「部分的改善」に過ぎず、問題の核心は解決されていないと批判されています 。なぜなら、DVや虐待、あるいは「10年音信不通」であることを申請者側が窓口で説明し、証明(あるいは納得)させる必要があり、その心理的ハードルは依然として高いからです。また、この「例外」に当てはまらない親族(例:疎遠だが10年は経っていない兄弟など)には依然として照会が行われる「原則照会」の運用自体は変わっておらず、申請をためらわせるスティグマは解消されていません 。   

この2021年の見直しは、行政の「手続き論」と、申請者の「心理論」との根本的なすれ違いを象徴しています。行政側は「いかに照会しなくてよいケースを事務的に正しく分類・処理するか」という手続きの効率化に主眼を置いています 。しかし、申請者が直面している問題の本質は、手続きの存在そのものが生む「スティグマ(恥)」です。行政は「例外規定の明確化」という技術的解決を図りましたが、問題の核心である「家族に知られるかもしれない」という心理的障壁は温存されたままとなっています。   

C. 結果としての「低すぎる捕捉率」と「水際作戦」

これらの障壁がもたらす最も深刻な結果が、異常なまでに低い「捕捉率」です。捕捉率とは、最低生活費以下で生活している(=制度の対象となる)困窮世帯のうち、実際に生活保護を利用している世帯の割合を示す数値です。

日本におけるこの捕捉率は、専門家の推計でわずか2割から3割に過ぎないとされています 。これは、制度の対象となる困窮者のうち、実に7割から8割が、スティグマや窓口での不適切な対応を恐れ、制度を利用せずに困窮状態に留まっていることを意味します。この事実は、日本の生活保護制度がセーフティネットとして「機能不全」に陥っていることを示す、最も決定的な証拠です。   

この機能不全を助長しているのが、日本の「申請主義」の原則  と、福祉事務所の窓口における「水際作戦」です。 「申請主義」とは、制度の存在を知らず、本人が自ら窓口に出向いて「申請」という意思表示をしなければ、支援が開始されない原則を指します 。 さらに、勇気を出して窓口を訪れた申請者に対し、窓口担当者が制度に関する不正確な説明(例:「若いから働ける」「家族に相談するのが先」)や、意図的に威圧的な態度をとることで申請そのものを諦めさせる行為が「水際作戦」と呼ばれます 。   

D. 受給者を待ち受ける「貧困ビジネス」という罠

こうした行政の「高い壁」は、皮肉にも、困窮者を搾取する「貧困ビジネス」の温床となっています。住居を持たない困窮者に対し、劣悪な環境の「無料低額宿泊所」などを提供し、支給される生活保護費(特に住宅扶助や生活扶助)の大半を「利用料」などの名目で徴収する悪質な事業者が存在します 。   

これらの事業者は、福祉事務所とは対照的に、駅や公園などで生活困窮者に積極的に「募集」や「声かけ」を行っています 。つまり、正規の行政ルート(福祉事務所)が提供すべき「アクセスの容易さ」を、彼らが歪んだ形で提供し、その対価として保護費を搾取しているのです。行政の「水際作戦」  や「扶養照会」  が申請者を突き放せば突き放すほど、これらの悪質業者の「市場価値」は高まります。貧困ビジネスは、公的セーフティネットの「機能不全」を養分として成長する、寄生的な存在と言えます。   

IV. 生活保護をめぐる社会的言説と統計的現実

ご依頼のあった「SNSの生活保護叩き」は、制度の「リアル」を歪めて伝える「社会的言説」の典型です。本セクションでは、まず制度をめぐる統計的な長期推移を提示し、その上で「不正受給」「外国人受給」「自己責任」という3つの主要な言説と、統計的・法的事実(Reality)とを対置させます。

A. 統計的現実:1980年からの受給者数と構成の推移

生活保護をめぐる議論の前提として、1980年(昭和55年)から現在に至るまでの受給者数の長期的な推移を把握することが不可欠です。

表1:生活保護受給者数・世帯数・保護率の推移(1980年〜2024年)

年度被保護実人員 (人)被保護世帯数 (世帯)人口千人比 (保護率, ‰)世帯類型別割合 (高齢者世帯 %)世帯類型別割合 (母子世帯 %)世帯類型別割合 (傷病・障害者世帯 %)世帯類型別割合 (その他世帯 %)主な社会的出来事
19801,427,381741,63512.234.613.937.114.4
19851,409,076733,52211.640.511.535.112.9プラザ合意
19901,228,829639,18110.042.69.034.414.0バブル経済
1995882,154509,2407.044.56.434.414.7バブル崩壊後 (歴史的低水準)
20001,047,407620,3818.345.47.934.212.5就職氷河期
20051,431,840903,11511.247.99.830.511.8
20101,967,3901,364,09815.445.08.728.517.8リーマン・ショック後
20152,165,6581,634,06817.051.96.026.615.6基準引き下げ後
20202,049,5461,638,06116.255.44.625.114.9コロナ禍
2024 (1月)2,012,3191,652,82716.155.84.124.315.8

(出典:厚生労働省「被保護者調査」等に基づき作成)

この長期時系列データは、極めて重要な2つの構造変化を示しています。 第一に、受給者(世帯)数は1995年を底として、リーマン・ショック(2008年)を経て2015年頃まで一貫して増加しました。これはバブル崩壊後の「失われた20年」における貧困の拡大と軌を一にしています。 第二に、より重要なのが「世帯構成の劇的な変化」です。1980年代には3割台だった「高齢者世帯」の割合は、現在では55.8%と過半数を占めています。特に単身高齢者世帯の激増が背景にあります。一方で、かつて「貧困の象徴」とされた「母子世帯」の割合は13.9%から4.1%へと激減しています。 このデータが示す現代の受給者の実像は、「(稼働能力のない)単身の高齢者」が半数以上を占めるというものです。しかし、同時に1990年代後半から「その他世帯」(主に稼働年齢層の単身世帯)の割合も増加傾向にあり、この「働けるはずなのに受給している」と(誤って)認識されがちな層の可視化が、次項で述べる社会的バッシングの土壌となったと分析できます。

B. 言説1:「不正受給が蔓延している」 vs. 現実:「0.29%」という数値

SNSや一部メディアで最も強力に流通している言説が「不正受給」の問題です。「税金が不正に搾取されている」というイメージは、納税者の感情を強く刺激します。

しかし、統計的な現実はこの言説とは全く異なります。2021年の厚生労働省資料に基づき、生活保護費の総額(約3.8兆円)に対する不正受給として認定された金額(約110億円)の割合を試算すると、わずか0.29%(金額ベース)に過ぎません 。これは統計的に見て「蔓延している」とは到底言えず、他の社会保険制度(例:雇用保険)などと比較しても、極めて低い水準です。   

ここで、セクションIIIで指摘した「捕捉率」と「不正受給率」という2つの数値を対置させると、日本の生活保護行政が直面する致命的な優先順位の誤りが浮かび上がります。 すなわち、行政のリソース(人員、予算、のようなシステム開発費)と社会的関心は、全体の0.29%しかない「不正受給の防止」  という問題に過剰に集中しています。その一方で、制度から漏れている8割(=捕捉率2割)の「救済すべき困窮者」  という、セーフティネットの根幹に関わる機能不全は見過ごされているのです。   

C. 言説2:「外国人の受給は違法・憲法違反だ」 vs. 現実:「悪質なデマ」

「不正受給」と並んで強力な言説が、外国人受給の問題です。「外国人が日本の生活保護を食い物にし、日本人が受けられない」といった言説や、「最高裁で違憲判決が出た」という情報がSNSなどで拡散されています。

しかし、これは判決の趣旨を著しく歪曲した「悪質なデマ」です 。   

問題とされるのは、2014年(平成26年)の最高裁判決(永住外国人生活保護訴訟)です。この判決の正しい内容は以下の通りです 。   

  1. 判決の主文:最高裁は、生活保護法の条文が「国民」を対象としていることを根拠に、外国人には同法に基づく法的な「(権利としての)受給権」はない、と判断しました 。   
  2. 重要な留保(判決の核心):しかし、最高裁は同時に、永住者や定住者といった定住外国人に対し、「行政措置」として人道上の観点から準用的に保護を実施することを、何ら否定しませんでした 。   
  3. 結論:この判決は、「外国人に法的な”権利”はない」と述べただけであり、「外国人に保護を”実施する”ことが違法・憲法違反だ」とは一言も述べていません 。したがって、1954年の旧厚生省通知に基づき、永住者・定住者・難民認定者などの外国籍住民に対して「行政措置」として生活保護を準用している現在の運用は、この判決後も適法に継続されています 。   

D. 言説3:「働けるのに働かない」 vs. 現実:「自己責任論」の浸透

最も根深く、スティグマの核となっているのが、「怠惰な者」「本人の努力不足」を公金で養うべきではない、という道徳的な批判です。

この言説の社会的背景には、平成期(特に1990年代以降の新自由主義的改革)を通じて、「自己責任」という言葉が社会に浸透したことがあります 。経済的な成功も失敗も個人の努力や選択の結果であるとする「自己責任論」が強まるにつれ、貧困や失業といった本来は構造的な「社会問題」が、「個人的な問題」として扱われるようになりました 。   

この言説が爆発的に拡散した契機が、2012年に起きた著名なお笑い芸人の母親の受給をめぐるバッシング報道です 。このケースは、事前に役所に相談し、息子の援助額では不足する分のみを受給していたため、不正受給ではありませんでした 。にもかかわらず、メディアはこれを「不正」であるかのようにセンセーショナルに報じ、著名人が謝罪会見に追い込まれたことで、生活保護制度全体に対するネガティブな印象が社会に決定づけられました 。(→表1に見るように、受給者が200万人を超え、社会の不満が高まっていた時期と一致する)   

この種のバッシングの根底には、セクションIで指摘した、生活保護を「権利」ではなく「恩恵」と捉える社会通念  があります。「(旧法的な意味で)受給に値しない者」=「労働や納税をしていない(ように見える)者」が、公金(=他の人の税金)から支給を受けるのはけしからん、という道徳的義憤が、「自己責任論」と結びつき、強力な社会的言説を形成しているのです 。   

V. 制度の将来と重要論点(専門的補足)

ご依頼のあった「その他、専門家判断で盛り込んだ方がいいこと」として、本制度の根幹を揺るがす最新の司法判断と、日本の制度設計の特異性を浮き彫りにする国際比較を詳述します。

A. 最重要動向:基準額引き下げ違法訴訟(2025年最高裁判決)

2012年のバッシング  が社会的言説として最高潮に達した直後、国は2013年から2015年にかけて、生活扶助基準を段階的に最大10%(平均6.5%)引き下げるという、戦後最大規模の改定を行いました。その主な根拠は、2008年から2011年の物価下落を反映する「デフレ調整」でした 。   

これに対し、全国の受給者が「生存権を侵害する違法な引き下げだ」として、減額処分の取り消しを求めた集団訴訟(「いのちのとりで訴訟」)が起こされました。 2025年6月、最高裁判所は、この基準引き下げを**「違法」**と明確に判断し、国の減額処分を取り消す判決を言い渡しました 。   

最高裁が「違法」とした理由は、極めて重要です。 厚生労働大臣が「デフレ調整」の根拠とした物価変動率は、社会保障審議会(専門部会)でも全く議論されておらず、専門的知見とも整合しない独自の手法で算出されたものであったと認定 。統計等の客観的な数値との合理的関連性を欠き、生活保護法が定める考慮事項を考慮しなかった判断は、**「与えられた裁量を逸脱・濫用するものであり、生活保護法に違反して違法」**であると断じました 。   

この2025年最高裁判決は、生活保護の議論を根本的に転換させる画期的なものです。2013年の引き下げは、「貰いすぎだ」という2012年の社会的バッシング(言説)を背景に行われた、極めて政治的・社会的な判断でした。しかし最高裁は、こうした社会的なムードや道徳論を一切考慮せず、純粋に「行政は、法に基づき、客観的・専門的なプロセスを踏んだか」という司法的・行政的な論点のみを審査しました。 そして、専門家の意見を無視し 、客観的根拠を欠いた大臣の裁量を「違法」としたのです。これは、国民の「健康で文化的な最低限度の生活」の基準が、時の政治的ムードやSNSの「叩き」によって恣意的に左右されてはならず、法の支配の原則に基づき、客観的・専門的なプロセスによってのみ決定されねばならない、という憲法上の原則を再確認させた点で、極めて重い意味を持ちます。   

今後の焦点は、原告()だけでなく、提訴していなかった当時の全受給者に対して国が差額分の補償を行うか 、そして、二度とこのような裁量の濫用が起きないよう、基準改定のプロセスを厳格化する「生活保障法」の制定  に国が着手するか、という点に移っています。   

B. 制度内の取り組み:就労自立支援策

制度は、単に生活費を給付するだけでなく、受給者の就労による自立を支援する仕組みも備えています 。 例えば、ハローワークと福祉事務所が連携したチーム支援、就労によって得た収入から一定額を控除(=手元に残せる)する「勤労控除」、就職活動に必要な経費(スーツ代、交通費など)を支給する「就労活動促進費」、そして保護廃止時に一定額を一時金として支給する(就労収入の仮想的な積み立て)制度などが整備されています 。   

C. 国際比較から見える日本のセーフティネットの特異性

日本の生活保護制度の課題をより深く理解するために、他国の公的扶助制度と比較することは有益です。

表2:公的扶助制度の国際比較(日本・英国・フランス)

項目日本(生活保護)英国(ユニバーサル・クレジット: UC)フランス(積極的連帯所得: RSA)
制度概要8種類の扶助を個別に給付する「最後のセーフティネット」。複数の旧手当(所得補助、住宅給付、求職者給付等)を一本化 従来の扶助を一本化し、低所得労働者にも給付を拡大 
申請方法原則として福祉事務所の窓口で対面申請 原則としてオンライン申請 
資産要件原則として保有不可(自動車、持ち家等に厳しい制限) 資産 £16,000(約320万円)以上で受給不可。£6,000〜£16,000は減額 
就労支援就労指導、勤労控除、各種支援事業 ジョブセンターと連携し、厳格な就労要件(求職活動等)が課される 「経済給付」を土台とした手厚い就労支援(アクティベーション) 
就労義務とペナルティ就労指導に従わない場合、保護の停止・廃止の可能性あり。就労要件を満たさない場合、給付減額(罰則規定)あり 就労が不調に終わっても、手当の削減などの制裁(ペナルティ)はない 
捕捉率(推計)極めて低い(2〜3割) (UCへの移行が難航しているものの)旧制度を含めた捕捉率は日本より高い。日本より格段に高いとされる。

この国際比較から浮かび上がるのは、日本の生活保護制度の際立って「懲罰的(Punitive)」とも言える設計思想です。

  • 資産要件の違い:英国のUCは、日本円で数百万円単位(£16,000)の資産保有を許容し、生活を立て直すための「足場」を残すことを認めています 。一方、日本は原則として「ゼロ」になるまで資産を使い切ること(自動車の売却など)を要求します 。   
  • ペナルティ思想の違い:フランスのRSAは、就労支援(アクティベーション)を強化しつつも、それが不調に終わったからといって給付を削減するような「制裁」は行いません 。まず経済的基盤を保障するという思想が根底にあります。   
  • アクセスの違い:日本は、扶養照会という「スティグマ」  や「水際作戦」  など、「入り口」で申請を抑止する力が強く働きます。   

また、就労支援の思想も根本的に異なります。フランスのRSAは、「分厚い経済給付の土台の上で(就労支援が)展開されている」  と分析されています。まず生活を安定させ(給付)、その上で安心して就労支援を受けることができます。 これに対し、日本の制度は、まず「補足性の原理」  により徹底した資産・能力の活用を求め、扶養照会という心理的ハードル  を経た上で、ようやく「給付」が始まります。生活の安定という土台が脆弱なまま、就労支援  が乗せられている構造であり、支援策  自体はあっても、その前提となる「給付」へのアクセス自体が極めて困難なのです。この設計思想の違いが、捕捉率の圧倒的な差  に直結していると考えられます。   

VI. 総論:日本のセーフティネットの課題と展望

本報告書で分析したように、日本の生活保護制度は、その法的理念と運用実態、そして社会的言説との間に、深刻かつ多層的な「乖離」を抱えています。

  1. 「理念」と「スティグマ」の乖離: 制度は1950年に「国民の権利」として設計されました 。しかし、70年以上が経過した現在も、行政の運用(特に扶養照会)  と社会一般の通念は、いまだに「恩恵」や「恥」という旧法的な意識  に強く縛られています。   
  2. 「言説」と「現実」の乖離: 社会の関心は、「不正受給」(金額ベースでわずか0.29%)  や「外国人受給」(法的に歪曲されたデマ)  といった、統計的・法的に見て極めて小さな(あるいは存在しない)問題に集中しています。この過剰な言説が「自己責任論」  と結びつき、受給者へのバッシングを生んでいます。 その一方で、制度の対象となる困窮者の7割から8割が利用できていない  という、セーフティネットとしての致命的な機能不全(低捕捉率)は、社会的にほとんど問題視されていません。   
  3. 「救済」よりも「抑止」を目的化した制度設計: 厳格すぎる資産要件 、スティグマを助長する扶養照会 、そして窓口での水際作戦  に象徴されるように、日本の制度は、困窮者を「救済」することよりも、「不適格者(とみなされる者)を排除・抑止」することに重心が置かれた、「入り口」の狭い設計になっています。   

これらの構造的課題を踏まえ、日本のセーフティネットが憲法第25条の理念に立ち返り、真に機能するために、以下の展望と提言が導かれます。

  1. 2025年最高裁判決の完全な履行: 国の裁量権の濫用を断じた司法判断  を厳粛に受け止め、原告外の全受給者に対する速やかな補償  を行うとともに、二度と政治的ムードで基準が左右されぬよう、専門的知見に基づく適正な基準設定プロセスを法制化する(例:日弁連が提言する「生活保障法」の制定)  ことが不可欠です。   
  2. 「扶養照会」の原則廃止(あるいはオプトイン方式への転換): 捕捉率の改善とスティグマの解消に向け、最大の障壁となっている扶養照会は、DV・虐待ケース等の申請者が拒否した場合  にとどまらず、原則として廃止すべきです。あるいは最低限、申請者の明確な同意なしには照会を行わない「オプトイン方式」へと根本的に転換することが強く求められます 。   
  3. 「アクセス」の抜本的改善と「懲罰的」思想からの脱却: 英国のUC  やフランスのRSA  の例も参考に、セーフティネットの設計思想を「抑止」から「支援」へと転換すべきです。具体的には、英国のようなオンライン申請の導入 、再起の足場を残すための資産要件の緩和 、そして「申請主義」の弊害をなくし、行政側から困窮者に手を差し伸べる「プッシュ型支援」への転換など、「恥」をかかずに「権利」としてアクセスできる制度設計への抜本的改革が急務です。   

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